こんにちは。今日は少し湿っぽいお話です。申し訳ありません。
実は去る2018年3月17日(土)、親愛なる我が祖父、土屋真澄が95年の生涯に幕を閉じました。
こんなことブログで書くことなのかやや悩みますが、怒涛の数日間を祖父の大好きだった日本酒「鬼ころし」をたしなみながら色々と祖父の事を考えてみた。
実は家族で僕と祖父の愛犬ミーコだけが祖父が息を引き取る時に立ち会えました。たまたまだったのかもしれないし、必然的だったのかもしれません。
でも最期に一人にせず、一緒にいられてよかった。
祖父は介護施設にも病院にも入りたがらず、生まれ故郷の土岐市の自宅で最期を迎えたいと常に希望してきました。
実は家族は今週にでも介護施設に入所させるつもりでいたのですが、結果それはかないませんでした。
結局のところ本人の意思を貫くことができたのです。
この日は実に1年半ぶりくらいに祖父が造ったリゾートホテルを一棟貸しでお客様の受け入れをしておりました。自分たちのウエディングパーティーを手作りで企画し、まるで野外音楽祭のような感じで野外でも音楽を流し、バーベキューをし、それは大勢の人数でにぎやかに楽しそうなパーティーでした。
このお客様の受け入れ側の私への要望は、何もしないでください、ほっておいてくださいということでした。僕も調子に乗って「ではほったらかします(笑)」なんてやり取りをしてたのですが、見事にほったらかすしかなくなりました。朝からの準備も進み、お昼が過ぎ、宿の前の畑、庭の方からにぎやかに音楽がなり始めた頃、静かにそして穏やかに息を引き取ったのです。
おじいちゃんらしいな、それが僕が感じたことです。結局のところ自分の意思を貫き通し、宿にお客様がたくさん来たところを見計らい、静かに引いていく。
いつも自分ではなくお客様が主役、「お客様に尽くせ!」そういわれて来ました。言葉には出さないけれど、自分は黒子となり人が喜ぶことをする。人を愛し、そして本当に人から感謝され人から愛される人でした。またつい最近まで僕に「しっかりやれよ!」て叱咤激励をしてくれて、最後の最後まで家族のことを想い続けてきました。またこうして宿屋に戻ろうと思ったのも、やはりおじいちゃんがいたからこそ。おじいちゃんが作り上げてきた宿は結果継ぐことが出来なかったけれど、おじいちゃんが思い続けてきた宿屋の思い、姿勢は僕がこれからは継いでいきます。そしておじいちゃんのようには生きられないかもしれませんが、土屋造としての生き方を精進し追求していこうと思います。
親愛なる、そして尊敬する祖父土屋真澄へ、
『ありがとう、そしてこれからも見守っていてください。僕もあなたのように精一杯生きていきます』
*実はこの2週間ほど前に書きかけて、そのままにしてました。今更ですが、更新します。
土屋造
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